【悼】記憶喪失。

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(昨秋、母の卒寿祝い旅のワンシーン」

先月パリ出張に行ってきたのですが、
どうしたことか、
そのあいだの記憶がありません。

いや、ないというのは大げさで、
仕事(商談・集金・WS)のことは
しっかり覚えているのですが、、、。


これとか。

これとか。

とても鮮明に覚えていて、
ワークショップ時に使うテーブル上に
「新聞を敷きますか?」と聞かれて
「あ、お願いします」
(あぁ、敷物を忘れたなぁ)と反省しつつ、
ル・モンドかなぁ、なんて思っていたら
日経新聞が出てきてジュンク堂だものね
と思ったことなど、やたらに
細かいことまで覚えているものの。

仕事以外のほぼすべての記憶が
みごとに飛んでいるのです。


そのことに気づいたのは
帰国して1週間が経ったころ、
近所の犬友に会って
「パリでおいしいもの食べてきた~?」
そう聞かれて、あれ、
そういえばなに食べたっけ?
と、パリでの食事のほとんどを
思い出せないことが発端でした。



出発前に選んだパリのアパートは
マルシェに近く、そこでの日々の
買い物を楽しみにしていました。
実際に肉魚野菜を買い込んで、
パリのアパートでのウチメシに
舌鼓を打っていたようなのですが、
この記憶がすっかりないのです。


また、パリ最終日に14年ぶりに会った
友人たちとのランチの写真も
残っているのですが、、、。

彼らからもらったプレゼントも
しっかり持ち帰っているというのに、
会った記憶がまるでなくて、、、。
帰国後にやり取りしているskypeで
このことをどう話したらいいものか、
うまく説明できそうもなくて、う~ん。


理由は、
きっと、たぶん母の死。


母が亡くなったのは、
わたしの出発する前日でした。

その2日前に危篤の報を受け
駆けつけた時には、こちらが
拍子抜けするくらいに元気で、
「あら、あやちゃんどうしたの?」
と、普通に話しができたのでした。

一夜明けてまた面会に行くと
「ねぇ、みんな集まってくるけど、
なにかあったの?わたしったら、
そんなに悪いのかしら?」
なんてことを話したりもして。

あぁ、これなら、もしかしたら
わたしがパリから戻る
半月後まで元気でいてくれるかも。
そんな期待も抱きましたが、、、。

その翌日の朝、
母が大好きだった
3番目の姉家族に看取られ
静かに逝ってしまいました。


パリ出発前日に
母が亡くなるなんて、
できの悪いドラマじゃないんだから。
なんなの、なんなの、これって、、。
悲しいんだか誰に対する怒りなんだか
ワケが分からなくなるほど
寝室に籠ってひとり号泣しました。
びっくりするくらいの号泣でした。


「あやちゃんのこと、
フランスで仕事するだなんて
お母さん誇らしいな、って言ってたよ」


「ひと足先に雲の上から
明日のあやちゃんの渡仏の無事を
見守ってくれるはずだよ」


「みんなが疲れ切る前に
ありがとうって逝ったんだと思う」


数時間も経たぬうちに
姉たちからのLINEが鳴り続けました。


あぁ、そうか、と。
泣いてばかりもいられない、
スーツケースにまだ何も入れてない、
準備ができていない、
支度しなきゃ、
なにを持っていけばいいんだっけ?


仕事の準備はすでに済んでおり、
ワークショップの材料一式は
機内持ち込みキャリーに入れてあったし、
その他の打ち合わせ資料はすべて
iPadに入れてあるし、
万が一のことを考えてローカルにも
ファイルを作ってあるし、
ケーブルさえ忘れなければ
仕事関係はだいじょうぶ。


あとはパスポートとカードと
Eチケットと少しの現金があれば、
準備完了だいじょうぶだいじょうぶ。





仕事関連は「次」に繋がる
ステップを作れるなどして、
エブリシングオッケーだったものの。


なんと、
着替えをほとんど入れておらず、
パリ滞在中ほぼ着たきり雀状態に。

夫は夫で自分でパッキンした内容が
なんというか、もーひどくて(笑)。
いや、笑えません。
なんでか「それはもう着ないで」と
(捨てる処分間近の)
ポロシャツをスーツケースに
詰め込んでいったようで、、。
(いつもはわたしがコーディネイトするのです)
(今日はこれとコレ、明日はアレとそれ、みたいに)
(今回は手が回らなかった)

どの写真を見ても、
いつもの犬散歩に行くみたい、
というか、それよりひどいヨレた服を
着ているのです、花の都なのに。
ふたりとも、、、(泣)。




わたしはかなりのメモ魔で、
特に旅先では多くのことを
iPhoneのメモ帳に記すのですが。
旅行期間のそれらを紐解いてみると
ちょっと異常なくらいの量を書いていて
我ながらひきます。
異常というか異様なさまに。

自分で自分の記憶がなくなることを
まるで予知しているが如く
あきれるくらいのメモが残ってました。



パリに行ったことを
誰からも責められてないし、
むしろ「よく行ってきたね」と
褒められたりもしたけれど。

なんだろか、
なんだろな。

母の死にまつわる
一連の儀式に立ち会っていないことで
母の死を実感できていなかったし、
母が死んだというのに、
遠い異国で楽しいことしていたり、
おいしいものを食べたりしてるなんて
おかしいだろ自分。無意識ながらも
そんな風に自分で自分を責めていて
楽しかったことやおいしかったことの
記憶を封印している感じ、なのかも。


通夜、告別式、野辺送り、お骨拾い。

通過儀礼ともいうべき
これらをしていないこともあって、
母の死を実感できずにいました。
受け入れられないワケではなく、
自分の中のどこに母の死を
収めていいか分からない、
空虚な感じが続いてました。


そういう1ヶ月が過ぎて、
昨日は四十九日法要でした。


朝の犬散歩で
お墓参りに行ったところ、
墓誌に母の戒名と没記録が
刻まれていました。

父の隣りに刻まれたそれを見たとき
「お母さん、死んじゃったんだね」と
言葉にしていました。

これもひとつの通過儀礼なのかな。
お通夜も告別式も野辺送りも
ましてやお骨を拾ってもないけれど、
母が死んだことを自分なりに
はじめて実感し納得した気がします。

周回遅れのランナーみたいに、
他の家族とは違った風景の中に
いるのかもしれません。

母の死を実感したからといって
いまだパリでの記憶は戻らないし、
パリに行く前に寄り道をした
バルセロナの記憶も戻りません。

いまは戻らない記憶も、
わたしの体内のどこかに
格納されているはずだもの。
なにかの拍子にジジジっと繋がって
ぱぁーっと思い出す気もするし、
繋がらなくたって、まぁいいかな。
もう一度同じルートをたどり、
落ちているであろう記憶の欠片を
拾い集めに行くのもいいなぁ、
なんて思ってもいます。



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3年前の夏のある日。



読書をする母の足元で、
悪い奴が来たら
ガウガウする気満々な実々。
(悪い奴なんか来ないのにね。笑)

この椅子に座って本を読んだり
新聞を読んでいる母が好きでした。
話しかけようとして振り向くと
たいていは居眠りしてた母(笑)。

いまごろは空の上で
父と会えたでしょうか?
わたしたち姉妹がキャンキャンと
騒いでいた四十九日法要を
笑って見ていてくれたでしょうか。

みんなで1分間スピーチするかのように
ひとりひとり母の思い出を語りました。
それぞれが思う母のカタチに、
泣いたり笑ったり、また泣いたり。
良き法要でした。

生きてる者は元気を出して
しっかりやっていくように。
空の上から父と母からの
叱咤激励が飛んで来たような
大雨の中での法要でした。
みんなで泣いて笑って良き1日でした。

わたしは元気に笑って生きていきます。
まる。



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by ayakosahara | 2018-11-07 17:26 | 天然生活 | Comments(0)
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