同じ思い。
2004年 12月 02日
サハラが入院していた頃は、インターネットもまだ一般的ではなくケータイを持っている人も少なかった。3ヶ月の入院中、たくさん手紙を書いた。同室の友人と、蓮根と水彩絵の具と和紙で手製のレターセットを作ったりもした。下手な絵も描いた。なにかを書いたり描いたりしている時は、アトピーを掻くことは少なかった。これはシャレではない。
最初の1ヶ月は眠れないばかりの夜を過ごし、つらい日々だった。
当時の主治医からは「掻く」ことについて、
「痒い時は弱っていない肌のエリアを掻くように」と指導されたていた。
掻くことは、弱った肌をさらに傷つけて悪化させてしまうから。
アトピーではない部分を掻いて気を紛らわせろ、というのだけれど……。
全身が炎症を起こしていたサハラは、弱っていない部分は足の裏だけ。
両手では足りず百手観音に変身したいと思ってた。
アトピーはカユミとの戦い。
カユミ連合隊から24時間体制で攻撃され続け、
表皮セラミド義勇軍は撃沈してしまう。
「あぁ~、またやられてしまった…」と、ボロボロになった肌をみて嘆く毎日。
はぁ~。あの時、一生分のため息を使ったように思う。
アトピーはイキモノではないけれど、
飼いならすコツのようなものを、入院中に友だちとの会話から教わった。
「経験者は分かる」 なんだな。
つらく眠れなかったたくさんの夜も
「深夜のお話会」と名を換えると、そこは上質なセラピールームになった。
巡回の看護師さんに注意されながらも、毎晩たくさんのことを話したなぁ。
+ + +
著者: 蔵前 仁一
タイトル: ホテルアジアの眠れない夜